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刑事ドラマ「相棒」がきっかけ? 社会福祉士の岡崎由利さんに仕事の話を聞きました

岡崎由利

本当にピンチになる一歩手前で、役立つ情報をお届けしたいと思っているヨリドコオンラインですが、「ヨリドコオンラインの相談員ってどんな人?」と感じる方も多いのではないでしょうか。そこで今回は相談員の岡崎由利さんに話を聞きました。

ーーー広島出身なんですね?

そうです。大学まで広島で過ごして、就職を期に大阪の西成に出てきました。

ーーー大学時代には福祉の勉強をされていたとか。

はい。社会福祉専攻で、私の大学の先生は関西出身の方が半分以上だったので授業の中で西成を題材にしたDVDを見る機会はあったので西成のことは映像で知りました。

ーーー映像で知ったんですね。どういう就職先を目指して大阪に来られたんですか?

私がちょうど学生の頃に、高齢者と分類される65歳以上の方や、実は検査を受ければ知的障害に該当する方たちが刑務所に多いということが社会的に話題になっていました。

司法と福祉の連携という形で、福祉の業界ももっと刑務所の中に社会福祉士という専門職を配置したり、刑務所から出るときに、より福祉的なケアが必要な人たちだから必要な福祉施設につなぐとか、地域の居場所に積極的につなごうと、国としても法改正をどんどんすすめている時期だったんです。

私はそこに関心がありました。何か福祉的なケアが必要で、その人たちに関わることで、軽微な万引とか、無銭飲食とか、無賃乗車とか軽い罪だけど、それを何十回も繰り返すことで刑務所に入っている人たちがたくさんいて。犯罪を繰り返して、刑務所に入ったほうが三食ごはんが食べれて、ゆっくり寝れるからという方たちもいるのを知って、そういう方たちに関われるのはどうしたらいいんだろうというのが出発点だったんです。

私は広島の田舎で生まれ育って、いざ本当にそういうことを仕事として自分が関わろうと思った時に、何も実務経験もないので、いろいろ考えていたときに、授業で何回か見たことのあった西成のように、社会的にいろんな背景がある方、例えば刑務所を出所した方もいるし、ホームレス状態の方だったり、ホームレスから今は抜けてアパートで暮らしている方とか、実は知的障害がある方とか、いろいろなバックグランドがある方がこの街にはいるんだというのが急にしっくりきて、この街だったら私はいろんな方と関わりながら経験を積ましてもらおうと就職活動をしたのが始まりでしたね。

ーーーなんでまた刑務所を出所された人に関わろうとされたんですか?

うまく話が繋がるか分からないんですけども、ずっと刑事ドラマがめちゃくちゃ好きで! 相棒とかがめちゃくちゃ好きだったんですよ。

ーーー相棒!

「刑事ドラマって最初に殺された人がバタッと倒れているシーンが流れて、そのあと、なぜこの人が殺されたのか、まわりにはどんな人が関わっているのかを刑事さんが探したり、キャラの立つ人物が登場するお決まりのストーリーがあるんですけど。

ーーーわかります、「刑事コロンボ」スタイルですね。

事件が起こる経緯とか、その中で生まれる葛藤に私はすごい惹かれていて。将来を決めるとなったときに、「相棒」の制作現場に入るのか、私は福祉を学ぶ学生だから、どうやったらその葛藤につながるんだろうと考えていました。そんな時に社会的に司法と福祉の連携が言われていて、私にも今の道の延長線でもその葛藤に関わる余白があるのではと思って、どんどん調べていくと、私が学んでいるその福祉の対象者と言われてる人たちが刑務所の中にたくさんいて、その人たちにどうやったら関われるんだろうと考えて、どんどん繋がっていった感じなんですね。

ーーー葛藤からそこにつながるんですね! でも「相棒」好きだったら刑事を目指さないですか?

刑事ドラマは必ず最後に「あなたの事情はわかった、情状酌量の余地はあるけど」と言いつつ、ズバっと正論で終わるんですよ。たぶん自分の適正としては刑事さんとして正論をつきつけるよりも、どういう環境の調整がこの人には必要で、どういうサービスや助けがあれば、この人はもうちょっと生活が豊かになったのかなと考えるほうが自分には向いていると思って、自分は関わりたいと思いました。

ーーーじゃあ今の仕事はドンピシャじゃないですか?

そうですね、ありがたいことに。

ーーー卒業後、釜ヶ崎支援機構に入られたのですか?

いえ、釜ヶ崎支援機構は知ってたんですけど、新卒で何もボランティア活動とかしたことがなかったのと、NPOに抵抗があって、親にどうやって説明したらいいんだろうとか、お給料ちゃんもらえるのかなって、ほんとわかりやすい偏見があって、最初は同じ西成にある社会福祉法人の救護施設で働きました。

救護施設(きゅうごしせつ)ってどんなところ? – ヨリドコオンライン

ーーー救護施設で何年間か経験を積まれたのですか?

いろんな部署に異動したので、ずっと救護施設ではなかったんですが、その法人で7年ほど働いていました。途中から小林さんたちがずっと活動してるのは知っていたので、じゃあもっと自分も違う角度からこの西成の地域に関わりたい、小林さん、笠井さんと3人でもっと働きたいっていうのはすごくあって。

笠井さんと岡崎さん

ーーーいろんな団体と連携するイベントとかで顔なじみになっておられたんですか?

小林さんがホームレスの支援団体Homedoorさんにいらっしゃった時に就職1年目からたまにボランティアに行かせてもらっていて、その時からですね。

ーーー職場でも支援していて休みの日もボランティアとして支援するお手伝いをしていたってすごいですね。

ぜんぜんです。どちらかというと前の職場は110年ぐらい続く老舗の社会福祉法人で、戦前から生活困窮状態にある方の関わりをされていたんですね。そこの良さももちろんあるけど、ホームレス支援のNPOは、 今困っている方に自ら会いに行って、自ら夜回りをして今の法制度でここが足りないけど、自分たちの取り組みとして新たにシェルターを用意して短期間利用できますと創意工夫されていて、勉強しにいく感じでしたね。

私の見たNPOでは、自分たちで困っている方にどうやってアプローチするか、夜回りをしたり、今回のようにヨリドコオンラインのLINE相談やYouTubeで発信をして自分たちの活動を呼びかけるとか、いろんなそれぞれの団体の良さがあって。それらを勉強したくていろんなところに顔を出していました。

ーーー釜ヶ崎支援機構に入られてから何か変化はありますか?

いっぱいあります。一番変わったのは、自分にも結構生きづらさじゃないけど、相談に来られる方との目線が以前よりも近づいたというのがあります。

以前は「私は支援者」というカテゴリーの中に自分を当てはめて働く感覚が強かったんですけど、今は自分ってこういう苦手な部分があるんだとか、私も精神的にしんどくなったらこんな状態になるんだとか、それがどんどん自分が裸にされている感覚があって、リアルな自分と向き合いながら「一緒に考える」等身大でありたいなっていうのがちょっとずつできる環境だなというのはありますね。

ーーーすごいよくわかります。やりがいを感じるところってどんなところですか?

やりがいはここは日中居場所として開放していて、どなたでも自由に来られるんですよね。「この書類ちょっとわからへん」とか「テレビ見ててこんな話気になった」とか、本当にそういう部分でもいいんですけど、「お仕事決まった」「仕事辞めた」と言いにきて来てくれる人もいるし、日中開放している中で、今まで家でしばらく人と関わりがない状態で過ごされて、でもちょっとずつ来るようになって、今日は自分から人に話しかけて、その人の接し方が見えたとか、今日は話したことがない職員に対して初めて自分から挨拶をしていたなとか、そういう小さな1歩1歩みたいなものが身近で一緒に体感できる。この人はうまく口には出さないかもしれないけど、何か戦っている部分があるんだろうなぁとか、それを今自分たちの仲間たちと、ああこの方はこんな風に葛藤しているねとか、こんな風に人との関わりを増やしているんやなあとか、すごいことやなあっていうのを、一緒に感じているのがあって、そういう部分がやりがいというか、うれしいですね。

ーーー「相棒」の葛藤のような現場にいらっしゃいますね。夢が叶ったんじゃないですか?

ほんとですね〜。1日では絶対わからなくて、すごいスパンの中でちょっとずつちょっとずつわかる感じで、そういった中で自分も一緒に成長させてもらってるって感じがすごいやりがいですね。

ーーーいいですね〜。どなたでも自由に来れる場所はサービスハブ西成のことですよね?

サービスハブ西成

そうです。メインはサービスサブの事業の利用者さんにはなるんですけど、もちろん利用を卒業された方も来られるし、それこそ普段ヘルパーさんとして働いてて全然事業と関係ない方も、「空き時間やわ」と来られる方もいるし、いろんな相談業務もしてているので自由には来ていただいてますね。

ーーーちょっとだけお仕事のことがわかった気がしました。ありがとうございました!

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