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5歳の頃の衝撃がホームレス問題に取り組む原点。ソーシャルワーカー・笠井亜美さんが語る「怖い」とは何か?

笠井さん2

本当にピンチになる一歩手前で、役立つ情報をお届けしたいと思っているヨリドコオンラインですが、「ヨリドコオンラインの相談員ってどんな人?」と感じる方も多いのではないでしょうか。そこで今回は相談員の笠井亜美さんに話を聞きました。

南海なんば駅で泣いた、5歳の頃の衝撃。

ーーー笠井さんが貧困問題に取り組むきっかけはなんですか?

ホームレス問題に関心をもったのは、5歳で初めて南海なんば駅に行ったのがきっかけなんです。今でも覚えているのは、階段のところに靴下に穴が開いたおっちゃんが座っていて。めっちゃ服もボロボロで、いわゆるホームレスの人を初めて見かけた時の衝撃がずっと残っています。

「何が衝撃だったか」というと、そこに座っているおっちゃんを大人たちは見てないんですよね。いないかのように振る舞う光景に衝撃を受けて。その様子を見かけたあとに、私は母親の前で泣いて、「あのおっちゃんはなぜあそこに座っているの?」「家がないの?」「家族おらんの?」と聞きました。

後々ホームレスという存在だとわかって、それから大人の貧困というか、大人の人たちでも家がないとか家族がいないとか仕事がないという状態になるのは何なんやろうとずっと引っかかりがありました。

でもホームレスの人の話題をするのって結構タブーじゃないけど、みんなのイメージはくさいとか、きたないとか、そういうイメージがあるから、あんまりそういうことに関心があると言えなかったです。

子どもの頃は海外の貧困地域のドキュメンタリーをテレビ番組とかで見る機会が多くて、大学の進学先は国際協力が学べるところを選びました。

大学自体が海外のことだけでなく日本の人権問題や女性の問題、マイノリティーの問題を扱う大学だったので、その中で自分のやりたいことを探していました。ずっとホームレスの人たちのことが気になっていたので、大学時代に釜ヶ崎に来て知り合った人に紹介してもらって、友だちと炊き出しに参加していました。

大学のフィールドワークで海外に行けるプログラムがあったので、インドとかバングラディッシュとかネパールなどの南アジアに行く機会があったので、現地のNGOで活動をしているソーシャルワーカーの人たちと会って刺激を受けました。

ネパールでホテルの警備員と敬礼

自分が生まれ育った国の課題に取り組んでもないのに海外に行くのも変やなぁと思い始めて、ホームレスの人たちがずっと気になっていたので、友だちとかも一緒に炊き出し行ってくれたので、ホームレス問題に戻ってこようと思って、取り組みはじめました。

ーーー学生時代から釜ヶ崎に関わっていたんですね。大学卒業後はどういう進路を歩まれたんですか?

母に1年間ちょっと猶予をもらって、大学はちゃんと4年間で卒業してほしいと言われてたので、卒業後の一年間で大学院に進学するのか、どうするか考えようと思っていて、その間に炊き出しだったりとか、当時釜ヶ崎の中で、臨時で発足した中学3年生に勉強を教える会にも行っていました。今でいう学習支援なんですけど、そこで英語を教えていましたね。

「怖い」とは何か。その理由が知りたい。

その1年間の間にいろいろ考えて、ホームレスの人の中には知的障害と精神障害の人たちが多いというデータが、東京などで活動されている方が出しておられたので、私もいろんな野宿されている方と話ししたりとか、すれ違ったりした時にいわゆる独語(どくご)、独り言を言ったりしている人たちがいて、一見そういう人たちって怖いと思いがちで、私自身も怖いと思っているところがあったので、「怖いってなんだろう」とか、「独り言を言っている状態や疎通がとれない状態って何なんやろ」と思っていた時に、精神障害かもしれないと知って、いろいろ調べて、そういう障害をサポートするお仕事である「精神保健福祉士」という資格を見つけて、1年間で受験資格を得られるのが分かったので夜間の専門学校に通いました。

ーーーめちゃくちゃ真面目ですね。「怖いな」と思うところに近づいておられて、どこにそんなつき動かされる思いがあるんでしょうか?

「怖い」という感覚って、相手のことを知らないから怖いと思っちゃうんやろなと思っています。じゃあ知るにはどうしたらいいんやろうというのがもともとあります。知っちゃえば何が原因でその独語を言ってるのかとか、怒りながら一人で喋っている原因が何なのかがわかれば、今ならもしかしたら統合失調症で、幻聴が聞こえてはって、独語を喋ってるんやろなあとか思えるので、相手を知ることができたら、怖いっていう感覚がなくなると思っています。

ーーー専門学校の卒業後は病院で働く人の方が多いんですかね?

多いですね。私も最初病院で働きました。専門学校に通っているときに昼間は精神障害の人たちが働いている作業所でアルバイトをしてたんですけど、私ももともと病院とかで働く気はなくて、ゆくゆくはそのホームレス問題をやっていくために資格をとりたいと思っていたので、作業所で勉強させてもらいながら働きたいというのがあったんですけど、メンバーさんがみんな「病院に二度と入院したくない」って言うんですよ。

そんなに「病院が嫌なんや」と思って。みんなが嫌っている病院を知らずにこのまま地域で働くというのも違うなと思って、そこから精神科の病院で働こうと思ったので、無事、卒業後に精神科の病院で働くことになって。6年くらい病院に勤務していました。

ーーー病院を辞めるきっかけはやはりホームレス問題に関わりたかったからでしょうか?

ちょうど私が30歳になる年で、自分の中で20代は修行の年って決めていて、30代になったらちょっと何か考えようと思っていまして。ホームレス問題に関わりたいという思いはずっとありました。

病院でずっと私は「相談室」という入院の受け入れや、入院患者さんの退院するための環境を調整していくことをやってたんですけど、病院ってその医者がいて看護師さんがいて、そこにヒエラルキーがあって、先生と看護師さんとチームになって患者さんの退院に向けて退院後の再入院を防いでいくための取り組みにはやりがいもあったんですけど、自分が自由にソーシャルワークできないということがありました。

病院を退職する最終日に、患者さんのご家族からいただいたメッセージ。

もともとそんなに柔軟性のある考え方ができるわけではないんですけど、やりたいこと、思っていることを行動化するタイプではあるのに、それができない環境だったのもあるので、このまま病院のような大きな組織にいてもいいけど、自分の柔軟性がどんどん失われていくなあという危機感もあって、自分なりのソーシャルワークができる場所は病院じゃなくて地域だろうというのと、ホームレス問題にそろそろ関わりたいという思いがありました。

病院から地域へ

ーーーその後、Homedoorで働かれたんですよね。数ある中でそこを選ばれたのはどんな背景があるんですか?

もともと病院時代にちょっと地域のイベントとかでHomedoorで働いている職員と出会って、そこから夜回り活動のボランティアに1年くらい行くようになったんですね。もともと私の原点じゃないですけど釜ヶ崎に行くというのもあったけれども、釜ヶ崎の地域の外で野宿されている方はどんな感じなんだろうとずっと気になっていて。

Homedoor時代。誕生日会で大好きなBTSのお面をつけて祝ってもらった写真。

Homedoorは大阪市で2番目に野宿している人たちが多い北区で活動する団体だったので、その夜回りをしている中で、夜回りだけじゃ限界というか、私がもうちょっと一緒に関わりたいなと思う人達がいたので、だったらもうここで1回働かせてもらおうと思ったんです。

ーーーじゃあ一番やりたかったことにグッと近づいた感じですね。そのあと釜ヶ崎支援機構で働くことになるのは何か転機があったんですか?

釜ヶ崎支援機構で今一緒に働いている仲間が、今取り組んでいることを教えてくれて、ちょうど今私が働いているところなんですが、15歳から64歳までの生活保護を利用している人たちの、支援っていう言葉はあまり好きじゃないんですけど支援をする場所なんですよね。

ホームドアで野宿状態から脱却して家を借りて生活保護を申請したり、お仕事を紹介したりして、野宿じゃない状態にはできたけれども、その後の生活のサポートが課題でした。多分どこのホームレス支援の団体も同じ課題を抱えていると思うんです。生活保護を受けたから良しではなくて、生活保護を受けてから本当の生活がスタートします。保護を受けてからも関わりをもっている人とかはいたんですけど、大半は生活保護が決まったあとに連絡をとっても、音沙汰なしになったりとか、サポートしきれてなくて、結局何年かしたらまた相談に来てくれて、生活保護を止めていて仕事に行ったけど、またうまくいかなくなったとか、そういうところがあったので、生活保護を利用した後のサポートが課題だなというのが自分の中にあって、今、働いている部署がそこができる場所だったので、だったら今そっちに行きたいなと思って来ましたね。

今の仕事のやりがい

ーーー今やっている仕事でやりがいに感じるところはどんなところですか?

ほんまに些細なところですけどね。「いつ来てもいいよ」と事務所を解放してるんですけど、毎日来てくれる人たちが、ちょっと自分の感情を言えない人とかがたまに「こんなんしたい」とか、カレンダーのバレンタインデーのマークを見て、「誰かチョコくれるかな」とぼやいていたりしている場面を見たりしたら、なんか、「おお!」と思って。

ーーー自分の感情を言えない人?

その精神障害とか知的障害の方とかって一見コミュニケーションを取れる方もいれば、なかなか自分がこうしたいああしたい、ここが痛いとうまく伝えれない方とかもいらっしゃるんですよね。

そこをどう引き出すかが難しいんですけど、ほんとに思っていることを引き出すのが難しいと思いながら、でも日々関わっていて、ちょっとした言動とかの「おお、そんなこと思ってんねや」とかっていうのが見えたりすると、やりがいというか面白いなーと感じますね。

ーーー子どもの頃に疑問に感じたことが今の笠井さんは実現されている気がするんですが、まだできていないことってありますか?

いやーできてないことだらけだなぁと思ってはいますね。5歳の頃の原風景があって関わってはいるものの、それって、自分の自己満足の世界に一方で陥ってるんじゃないかと思ってはいるので、関わっている皆さんがそれぞれこうしたいああしたいということを実現できるようにサポートしたいけれども、本当にそれができているかというと、まだまだと思います。

今、生活保護を利用されている方が主な私の関わる対象の方たちですけど、生活に困っている人たちだったりとか、生きづらさを抱えている人たちがまだまだいっぱいる中で、その人たちにどうやって出会っていけるかというのが課題ですね。ヨリドコオンラインがその課題に対する取り組みの一つではありますけど。

ーーーさきほど「怖い」とは何かについて、相手のことを知らないからだとお話されていましたが、独り言をしゃべっている人のお話を深く聴きたいと思いました。自分の住んでいる駅を降りると、たまに空中に向かって怒っているおばあさんがいるんですよ。怖いと思ってたんですけど、今の話を伺ってその謎がとけた気がするんですけど、同じような謎を抱えている人はたぶん周りにいっぱいいるんじゃないかなと思っていて、そういった人たちにも理解が深まると社会が良くなっていくんじゃないかなと思いました。

そうですね、統合失調症って100人に1人がなるって言われていて、5大疾病の一つに入れられた(※正確には統合失調症を含む精神疾患)ので身近な病気のはずで、本来は義務教育の中に取り入れられてもいい病気だと思うんですけど、なかなか取り入れてもらえてなくて。

もっとみんなが知っておけば、統合失調症って目に見えないものだし、幻聴とか幻覚や妄想もそうですけど、本人にとっては事実で起きている出来事なので、なかなか治療につながりにくいんですよね。自分は病気じゃないと思いやすい病気なので、もしかしたら統合失調症かもしれないと早い時から知っていたら、早く病院につながるし、早くつながればつながるほど良くなるので、早期発見早期治療とどの病気も言われると思うんですけど、時間が経てば経つほど回復しにくくなるので、精神障害、精神科の病気もホームレス問題も繋がっているなぁと思っていて、今目に見える形で厚労省が定義している野宿状態の人、外で寝ている人たちは減ってはきているのもある程度残っていて。

その残っている人たちが、アプローチしてもなかなか支援につながりにくい。つながりにくい理由はおそらく精神障害や疾患だったりとか、何かしらの障害があり、未治療な状態で路上生活を続けていらっしゃるんだろうなというのがあるので、ここが課題だなとは思っているんですけどね。

ーーーいろいろ聞かせていただきありがとうございます!

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