前回の記事ではサービスハブがどんな場所なのかを紹介しました。今回は「サービスハブ」の利用者Aさんのお話をお聞きします。職員の笠井さんにも同席してもらっています。
ーーーサービスハブを利用したきっかけは何ですか?
Aさん
西成区役所の職員に紹介してもらってサービスハブに来ました。去年の10月ですね。仕事をどうやって探していくかとか、そんな話をしました。
ーーーどんな仕事を探されたのですか?
Aさん
最初は何をすればよいかわからず漠然としてました。「どんなんがしたいかようわからへんわ」と言っていて、「うんうん」と聞いてもらっているうちに、「お店で働きたい」ということがわかって。これまでお店で働く経験はあったけれど、失敗して、ちょっと向いていないかなと思っていたけれど、結局自分がしたいことをやるのが一番やなと思って。
ーーーお店で働いた経験があったんですね。
Aさん
コンビニとか串揚げ屋は経験があるんです。接客というよりか、お店の雰囲気が好きなんです。
笠井
いくつかの事業所さんに見学に行きましたね。
Aさん
そうです。いっぱい行きました。笠井さんから「障がい者手帳をもらって、事業所に行くという選択肢もあるよ」と教えてもらったのが大きかったですね。事業所という場所があることも知らなかったです。積極的に動いていただき、面接にもついてきてくれて。ということを笠井さんは半年以上やってくださいましたね。
ーーー事業所でいろんなジャンルのお店を経験されたんですか?
Aさん
いや、お店には辿り着かなかったですよ。どんな仕事がしたいかは、ずっとふわっとしていて、とりあえずいろいろ行ってみるうちにわかってきたから、いろいろ体験ができたのが良かったです。ビニールハウス内で栽培したり、パソコンの作業をしたりしている中で、いま働かせてもらっているハンバーガー屋さんに辿り着いたんです。
ーーー良かったですね。その場所で働く決め手はなんだったんですか?
Aさん
お店で働きたいというモチベーションが強かったですし、お店の方たちがやさしかったからです。2022年8月に決まり、それから働いています。
ーーーサービスハブを利用してからの変化を教えてください。
Aさん
ここに来るまではずっと後ろ向きだったんですけど、サービスハブに来てから前向きになりました。職員の方が話しやすい空気をつくってくれていて、聞くのが上手ですよね。ギスギスしていない感覚に久しぶりに触れました。
ーーーサービスハブを利用する前はそんなに人と話さない生活だったんですか?
Aさん
ずっと家にひきこもっていました。無職で、親に面倒をみてもらっていました。
ーーー外に出るきっかけはなんだったんですか?
Aさん
お金がなくなったからですね。それで小学校の頃に西成区には生活に困っている人が多いと聞いたのを思い出して、このまちに来たんです。西成区役所で相談したら、サービスハブに行くように言われて。
ーーーそれは急展開ですね。サービスハブの最初の印象はどうでしたか?
Aさん
さみしかったので、話しやすい環境で良かったという印象です。
笠井
Aさんだけでなく、来てもらったら最初は事業の説明をして、週1回面談することをお伝えし、生活に困っている部分やお仕事の希望を聞いて、今後どんな取り組みをするのか一緒に考えます。Aさんは面談後に居場所にも来てくれるようになりましたね。
Aさん
さみしかったので。
ーーー居場所ではどんなプログラムに参加されたんですか?
Aさん
絵を描いたり、子どもたちとピクニックに行ったり。どれも楽しかったです。
やっぱり誰かと話ができるのがいいですね。
ーーー今はどんな一週間を過ごされているんですか?
Aさん
週4回ぐらい9時〜18時までハンバーガー屋で働いています。最初は体験利用からだったんですが、今はがっつり働いています。働きやすい職場なので、プレッシャーとかもないんですよ。それ以外の時間は一人暮らしなので、炊事洗濯とかしていたら一日が終わりますね。最近は屋上で歌を歌っています。
ーーー充実してますね。職場が決まるまではどんな経緯だったんですか?
Aさん
すごい凝縮した1年で、いろんな感情が生まれました。家にひきこもっている間、誰とも接してなかったんですよ。20歳ぐらいから19年ぐらいMBSラジオを聴いて過ごしていました。さきほどお金がないから家を出たと言いましたが、本当は親もお金がなくなったわけではないでしょうけど、自分たちが先に死ぬので、そろそろ厳しくしないといけないと考えてのことだと思います。
それで西成区に住んで生活保護を受けるためには、約束としてサービスハブに通いなさい、という状況でした。さみしかったので、イヤイヤ来ていたわけではないです。照れるので嫌な顔はしていましたけど。
ーーー複雑ですね。さっきおっしゃった「いろんな感情が出た」というのはどんな感情ですか?
Aさん
昔のことを話したりして、「あのときはこういう感情だった」とか。「なんで僕は気が弱いんやろ」とか。自分の闇みたいなものが話すことによって整理されていったというか。
ーーー気が弱いというのは、いじめが理由でひきこもっていたということでしょうか?
Aさん
それはなかったです。自分は被害妄想が強かったんです。すぐに「人疲れ」してしまって。敬語とかも下手くそで。それで先輩に怒られたりとか。
ーーー敬語は上手だと思いますよ。
Aさん
なんか距離の詰め方が早すぎるみたいで、生意気に見えたりするようです。笠井さんから病院を紹介してもらって、精神保健福祉士や先生とつながったのが大きかったです。
笠井
「サービスハブ」では話せないこととか、クリニックや専門家になら相談しやすいかと思って、おつなぎしました。
ーーー専門的なところにつながってからスムーズだったんですね。
笠井
居場所につながったのも大きかったと思います。積極的に毎日来てくださって。
Aさん
「サービスハブ」も今の仕事も、すごくいいところに恵まれたと思います。
笠井
Aさんがいろいろ体験する中で、すごい真面目に一生懸命に頑張ってはる人だという誠実さが伝わったから、今、雇用を結んで働けていると思います。雇用先の担当者さんが電話してきてくれて、「すごい真面目に頑張ってくれてはります。ぜひ受け入れたいと思ってます」とお聞きしたので。
Aさん
いや、たぶん笠井さんとかがよく言ってくださったんだと思います。
笠井
過去の経験を自分を責めるための言葉として使うとしんどくなると思うので、ぜんぜん思わないでほしいです。Aさんはすごいありがたい存在で、職員だけでなく、他の利用者さんにも積極的に声をかけて話題をふってくださったりとかしてくれてはったので、めっちゃ助かる存在なんですよね。
ーーーいろいろ話していただき、ありがとうございました。