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ルポシリーズ「三浦 陽斗さん」後編

ヨリドコオンラインの「ルポシリーズ」では、釜ヶ崎のまちで暮らす人々のものがたりをお届けします。毎回ひとりずつに、釜ヶ崎に訪れるまでの背景、訪れてからの人々との出会い、活用したサポート内容、そして今の状況や想いなどを語っていただきます。(※登場する人物名は仮名です)

>この記事は「後編」です。「前編」はこちら

-3- キャリーバッグと、山と川

どこまで話してましたっけ。えっと……ホストの道を終えたところからですよね。ここからはこのまち、釜ヶ崎にたどり着くんですけど、そこからがまた、いろいろあって……後編では、そのあたりを話そうかなと思います。

自分がホストやってた頃は、寮がありました。でも、やめるとなったらそこからも出ないとダメなんで、すぐに入れる寮がある仕事を探しました。三重の工場に就職しました。

でも、それが2020年のはじめくらいで。ちょうどコロナが来たときです。いよいよやばくなって、出勤がなくなって。そのとき貯まってたお金、15万くらいを持って、また大阪に戻りました。

で、大阪に着いたものの、家ないし、頼れる人ももういないしで。持ってたお金で、ひとまずホテル泊まってたけど、もちろん金も尽きて。アテもなくずーっと歩きました。そしたら山にたどり着きました。そのとき正直、「もう死のうかな」って考えました。けど、結局死ねなかった。

とりあえず、来た道を戻るように、また歩きはじめて。また夜になって。なんかもうすごい疲れてて、川でちょっと寝ました。どこかわかんない場所の、川沿い。大きくて長い川。

それで、目が覚めたら朝になってて。
いろんなこと思い返しながら、朝日を見てて。それから立ち上がって、なんとなくまた、歩きはじめました。歩きながら、「もうちょっと人生楽しみたいな」って思ってる自分がいて。死ねなかったんなら、どうせならもっと楽しみたいな、って。「仕事探そう。働けたら、どうにかなる」って、思えました。

けどまあ、2日くらい食べてなくて、ペットボトルの水だけで。あと、キャリーケースも重たかったしで、「もう歩けないな、ダンボール探して寝よっかな」って思って、とろとろ歩いて場所探してたら、めっちゃいっぱい人が集まってる建物が目について。「あいりんシェルター」って書いてました。大阪市の西成区、釜ヶ崎にたどり着いてました。

でも、そのころ全然知らなかったんですよ。「シェルター」っていうのがあることも、このまちにいろんな支援があることも。けれど、人がその建物にどんどん入っていってて。入口の人に聞いたら、「泊まれるよ」って教えてもらって。しかも、その入口の人、シェルターのスタッフの人だったんですけど、自分の様子みて、ご飯くれたんです。ちょうど炊き出しやってるとかで、弁当ももらって。2日ぶりに食べるお米は、めちゃくちゃ美味しかったです。

-4- 両手いっぱいの肉&魚弁当

それからシェルターの利用者カードってのを作って、そこで2ヶ月くらい過ごしながら、また仕事探しをはじめました。でも、全然見つからなかった。

そのとき俺、お金なくて、スマホはあったけど、SIMがなくて。電話番号がないと、仕事ってやっぱり、全然受からないんですね。またちょっと、死にたくなってきて。wi-fiつながってるところで、ぼーっとしながら、ツイッターで「死にてえ」とか、いろいろつぶやいてて。

そしたら、ここからがいろいろ動き出すんですけども。

ツイッターの検索とかで引っかかったのか、知らないアカウントから、DMが来ました。「相談のりましょうか」とか。「こんな支援ありますよ」とか。とにかく親身になって、聞いてくれたり、一緒にいろいろ検索してくれたり。しかも、LINEペイで送金してくれたりもして。会ったことないのに、嘘かもしれないわけなのに、お金の援助もしてくれて。「こんな人が世の中にいるんか」って思いました。

ちなみにその、お金を送ってくれた人は、横浜の女の人でした。名前は「チヨ」さん。あ、旦那さんもいる人ですよ。40歳とかかな。病院で働いてるって言ってた。

やりとりのDM、まだ残ってます。2020年5月。

「はじめまして、ツイートみて心配してます」。

「そういうときはまず役所いくのが正解だと思います」。

生活保護のこととか、炊き出しやってる場所とかも、教えてくれました。

いろいろアドバイスもらって、「生活保護受けよう」とシェルターを出て、区役所に相談しにいって。こうやって人に話を聞いてもらって、情報を知れて……それではじめて、動き出せたというか。もともと知識がなかったのもあるけれど、それに加えて気持ちが落ちてたから、何からどうしたらいいかわからなかった。だから、チヨさんにはもう、本当に助けられた。

もうひとり、助けてくれた人で、印象的な人がいました。
「ノブ」さん。この人もツイッター経由で、DMくれた人です。東京の若い社長さんでした。

これもやりとりの画面、まだ残ってます。
「大阪まで会いに行きます」。
「何が食べたいですか」。
……うわ、しかも俺、DMで「肉か魚です」ってちゃっかりオーダーしてる(笑)

でもそうそう、このときノブさん、どっちも持ってきてくれたんですよ。肉が入った弁当と、魚が入った弁当。で、選んで一緒に食べるんかな? って思ったら、どっちもくれて。っていうか、弁当がいっぱい入った袋を、両手に持ってて。そのまま「はい」ってくれました。それから、「名古屋のホテルを経由して来た」って言ってたんですけど、そのホテルのアメニティとかも袋に一緒に入ってて。これがね、めっちゃありがたかった。

それから、もっとありがたかったのが、ポケットwi-fiをくれたこと。ノブさんの会社の名義で借りてくれたんです。仕事探しするのにめちゃくちゃ役立ちました。そんなことあるの?って思うけど、ほんとにそんなことが、ありました。

-5- ドンキで買ったアディダスの靴

ツイッターで出会った、チヨさんやノブさんたちの支えもあって、生活保護の申請は、受けられることが決まりました。そのタイミングでシェルターを出て、3畳のドヤ(簡易宿所)に住みはじめて、就職活動を続けることにしました。生活保護は、半年くらい世話になったかな。

でね、そこでびっくりしたのは、西成の宿の安さ。「安い ホテル」で調べたらもう、1000円とか2000円とかで。三重でとりあえずホテル住まいしてたとき、1泊5000円とか7000円とかだった。西成だと、1日分で5日間過ごせる。「俺が今まで払ってきたん、なんやったんや!」ってなったよね。(笑) あとは、食べ物も安い。お好み焼きとか100円とかで売ってるしね。ジュースもね。自販機の値段も、最初衝撃やったもん。あれは助かるよ、ほんと。

あとは、「めっちゃタバコ吸いたい」ってなって、けどお金50円しかなかった日があって。そのとき「50円しかないんです」って言ってみたら、『わかば』を本数単位で売ってくれる店があったり。シケモクだけは嫌だったからさ。コロナやしね。

まあ、そんな感じで、安いドヤに入ったわけなんですけど、自分が入ったところは、壁がすごく薄くて。安い分、やっぱそういうところはある。で、ちょうど隣の人がうるさいタイプの人で。全然落ち着かないし、眠れなくて。数日間ならいけたかもしれないけど、ずっと続くとしんどくて。気を紛らわすためにパチンコいって……涼しかったしね。(笑)

でも、そのループ入ると、お金は尽きてく。お金の底が見えると、気持ちもめちゃくちゃ焦ってくる。ちょうどそのタイミングで、支援団体のスタッフに、相談乗ってもらうことにしました。そしたら。

「このままのギリギリの暮らし方やと、また不安定になるやろう。陽斗さんが自分で探して引っ越しても、お金がない状態で契約できるところって、トラブルが起きやすかったり、それで退居しても、次の契約で保証会社に引っかかってしまったりで、次のスタートがしにくくなるから」って。

それで、その団体が借り上げているワンルーム紹介してもらって、引っ越すことにしました。今も、そこに住んでます。めちゃくちゃ快適です。相談してよかった。次の進みやすさまで考えてくれるの、ものすごくありがたかった。

そして、ついに。仕事が決まりました。

就職先は、「あいりんシェルター」。

釜ヶ崎にはじめてたどり着いた日に、世話になった、あの場所です。

チヨさんにもすぐ報告しました。「復帰しました!!!」って。
で、「今こんな感じで頑張ってます」とかって、やりとりしてて。

そしたらチヨさんから「じゃあ、これで靴でも買って」って、お金が届きました。「これから働くの、ちゃんときれいな靴でいかなきゃね」って。めちゃくちゃ嬉しくて、アディダスのスニーカーを買いました。新世界のドン・キホーテで。

それから、ずっとアディダスです。靴買うときは、絶対アディダス。職場でもずっとアディダス履いてます。あ、でも今履いてるのは、チヨさんのお金で買ったやつじゃないです。働いてもらった自分のお金で、買い直したやつです。チヨさんのお金で買ったアディダスはもうボロボロ。めちゃくちゃボロボロになるまで履きつぶした。今も家に、大切に置いてます。

-6- No.1ホストにはなれなかったけど

シェルターって、いろんなタイプの人がいるんですけど、自分の場合は、スタッフの人にどんな風に声かけられたかとか、中で喋るようになった人とのちょっとした触れ合いとかにも、すごい救われたところがあって。函館時代の先輩も、チヨさんやノブさんも、西成にたどり着いたときに「泊まれるよ」って教えてくれたここのスタッフさんも。人からの声かけに、ほんとに救われてきました。

でね、ここで昔の話に戻るんですけども。
自分、10年ホストだったわけですよ。こんな感じだけど、喋るのはホントに得意だし、人に声かけたりするのがやっぱり好きで。だから、このまちでそういうのも活かせたらって思ってて。今度は自分が、声かけてくっていうか。

まじで、喋りだけは自信あるんですよ。だから、そういう意味では、ここのNo.1になれてるかもしれないな。(笑)うん。

ホストはNo.3止まりだったけど、
シェルターでNo.1の座、とっていこうと思います。

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