ヨリドコオンラインの「ルポシリーズ」では、釜ヶ崎のまちで暮らす人々のものがたりをお届けします。毎回ひとりずつに、釜ヶ崎に訪れるまでの背景、訪れてからの人々との出会い、活用したサポート内容、そして今の状況や想いなどを語っていただきます。(※登場する人物名は仮名です)
あのね、最初っからごめんね。先、ひとつ言わせて。
おれ、明日、誕生日やねん。66歳になるのよ。
「ルート66」って映画あったん知ってる?シカゴから西海岸まで、オープンカーで若者2人で旅するねん。あれがかっこよおてなあ。小学校のときみて。ずっと憧れとったんや。ええ数字や。
それで僕な、ここまで生きれると思わんだ。66歳まで、生きれてると思わんかったのよ。うちのおじいさん44歳で死んで、親父が49歳。だからうちは「早死の家系や」って言われてて。それでなくても、「もうあかん!」って思ったこと、これまでに何度もあった。それでも、生きてるんよなあ。不思議やで。
みんな死ぬんやで。いつかはみんな死ぬ。でも、命ある限りは、これまで助けてもらった恩を送っていきたいって思ってる。昔はな、こうやって話すこともなかったんやけど、今は違う。そういう考えじゃない。何か、自分の話が役に立つんやったら、なんでも喋る。だから、今日はそんな感じで話ができたら、と思ってます。
中野 啓二郎です。よろしくね。
-1- 「全部ここに置いてけ、お寺が預かったるから」
えーと、まず生まれやな。東海地方に住んでた、とでも言うとこか。
で、最初にもちょこっと話したけど、親父も、親父の親父も、早くに亡くなった。おじいさんは親父が14歳のときに、親父はおれが19歳のときに死んで。だから片親で育てられた。まあ、大変は大変やったわな。
でも、親の世代から会社持っとったから、そこで勤めてたんもあって、バブルのときはだいぶ調子こいて、いろんなことして遊んで。で、バブル崩壊とともに、でっかい借金かかえて。こどもが3人おったけど、借金が理由で、別居して離婚して。最後おふくろと2人だけで住んできた。
嫁さんはまだよかってんけど、こどもに会われへんのは、相当落ち込んだ。で、何を思ったか、ひとりでふらーっと山の方に出かけた。で、夕方過ぎた頃かな、車が後ろから来て。クラクション鳴らして、「あんたどこ行くの!」って。おれ、「あれ、何してんねやろ」ってなって。「はよこっち乗んなさい。この先はなんもないし、歩くとこちゃう!」って。
そしたら、その声かけてくれた人が、旅館の女将やった。お金は持ってたから、そこに泊めてもらった。それで女将に「近くにお寺があるから、明日の朝行ってみたらいいよ」と言われて。わからへんかったけど、とりあえず「わかりました」と言って、寝て。
朝5時。言われたとおり寺に行った。女将さんが連絡してくれとったみたい。そしたら山伏の人が「あんた、死ぬ気やったんやね」って。びっくりして、「そんな馬鹿なことあるかよ」って言ったんやけど、「旅館帰ったら聞いてごらん」と。おれが持ってたリュック、巾着の中に、ロープ入れとったんやて。無意識や。人は、そういうとき、無意識なんやな、って思った。
翌日、山伏の人が「今ある想いを全部ここに置いてけ、お寺が預かったるから」って、言うてくれた。そっから、気持ちも体も軽くなってな。山を降りて、家に戻って。それから7年間、借金返していくために、ものすごく働いた。
-2- 「私より1日でも、長生きしとってくれ」
7年間、働き続けたときは、睡眠3時間くらいで、ほんまに休みなしで働いた。最初辛かったけど、金峯山寺で「置いてけ」って言われたのが、やっぱりものすごい励みになってたみたい。
ただ、80kgあった体重が、55kgになってた。
そんなある日、連れから「もうええ。もうやめよ。それ以上仕事したらお前死んでまう。お前死んだら困る」って言われたんや。聞けば、お袋も「あの子を失いたくない。仕事やめてもいいって、あんたからもゆうたってくれんか」って、連れに頼んでたみたいで。
家帰ったら、お袋が「最後に親孝行せえ」って言ってきた。でな、お袋、ウニが好きなんよ。やから、「そうか、ウニ食いたいか、食わしたろ〜」ってゆうてちょっとふざけた。
「違う、バカやなあ」と。「あんたの息子やぞ」ゆうたけど。(笑)
「違うよ啓二郎。私より1日でも、長生きしとってくれ」と。
「わかった」って言った。
その次の日に、いつもお金返してた銀行に行って、「すみません、仕事やめます」と言って、関係役員にも伝えた。そしたら、それまで厳しく取り立てとった銀行がや、「よう、7年間がんばりましたね」って。銀行に褒められたん、はじめてやったわ。受付の人達も話しかけてきて。「今日、みんなでごはん一緒に行きましょう」って言ってくれた。嬉しかった。
-3- 理不尽、犯罪。人を信じられなくなったこと
ただ、その後、2人で暮らしてたんが、一人になった。お袋が死んだ。
それから、またおかしなった。おれの中のタガが外れて、おかしなった。
「一人で食ってくならいいやろ」と、借金の残りの280万弱。こんなもんほっといたれ、好きにするわ!ってなって。競売にかけたりして。
そんなときに、家に誰かが入り込んだ。犬も飼っててんけど、犬がやたら吠えて上がってくるから、なんかおかしいなあと思ったら、誰かが不法侵入しとった。で、犬も吠えたしおれも気づいたしで、驚いて相手は逃げてった。すぐに駐在んとこ行って、伝えて、現場来てくれて。みたら、「うわあ。足跡ついてるやんか」って。すぐ対策せなあかんってなって。
その3ヶ月後、犬がまた、うーっと吠えた。2回目や。おんなじやつかどうか分からんかったけど、おれ、ちゃんと棒用意しとって。犯人の顔も、どうにかして見たろって思ってて。でもまた逃げられた。もちろん警察行って。そしたら今度は、交通機動隊が重点的に回ってくれた。
そのあと、犯人がわかった。1回目と2回目、やっぱり同じやつ。しかも身内やったんや。なんでかって、いろんな人に調べてもーたら、親父の会社をおれが引き継いで、役職ついてるカタチになっとったらしく、そのおれに、保険ついてたみたい。要は、保険金目当て。ほんっまに怖いで。次あったら命ないかもしれへんな、と思った。家がバレてる以上、引っ越さなあかんな、と思った。
そういう理由で殺されかけると、さすがに人のこと信用できんくなってくるわな。
そうこうしてるうちに、ちょうど先輩の会社が、「うちの会社来ないか」って誘ってくれて。しかも、家のことも相談したら、「うちの寮があいとるから、そこで住め」と。ありがたいなあと思って、そこから先輩にお世話になりはじめた。
ところが、3月11日、東日本大震災が起きた。
会社が「仙台に支店つくる」と言って。おれはもう、家族がおらんかったから気楽やし、手挙げて、そっちに移った。
で、現場に行くやん。知り合いができるやん。いろんな知り合いができる中で、中堅ゼネコンの委員会に出ることになった。出たら、「なんじゃこれは」ってなった。「うちの会社、相当悪いことしてるやないか」と、ピンときた。常に理不尽なことが起きてたから、うすうす気づいてたけど。もう、やっぱり人信用できひん、辞めたほうが良いなと思って、辞めた。
それから、ええ機会やおもて、お遍路をはじめることにした。貯金は結構あったんよな。2年くらいはフラッとできるやろ、思って。
でもな、お遍路でも「一緒に回りましょう」って言われて行動ともにしてた人に、寝てる間にお金盗られて、逃げられたりもしてな。だからもう、いよいよ、人が全く信用できひんくなっていった。
-4- 「おむすびひとつどうぞ、食べて」
人を信用できなくなったときの自分はすごくしんどかった。あのときのような気持ちにもう、なりたくなくて、お遍路の途中で、山で生活をし始めた。自然のことやったら信用できたからな。もちろん、信頼してる知り合いや友達もおったけど、彼らには迷惑かけたくなかった。見栄やな。
それに、こうやって命狙われるくらいやったら、自分で自分の身を始末しようおもた。覚悟できたタイミングで穴ほって、ミイラになったらええわと思ってな。それで、山ん中で暮らしはじめた。
人に会いたくないから、食事も自分でなんとかした。木の実食べたり、虫食べたり。あと、あれ、何ていう植物なんかな、縦の繊維が細くて……まあ、そういう草を切って、沸かした湯に入れて食うてた。あれ、腹持ちするねん。そんな感じの食事やったから、体壊したりもいろいろしたけど、そのときの生活は、それはそれで結構楽しかった。体の仕組みがよく分かった。
でもな、おかしなもんで、煙草だけは絶対やめれんかった。山ん中おっても、途中コンビニまで降りて、煙草は買いに行っとったんや。(笑)1週間に1回くらいかな。
で、ある日も、タバコ買いに降りたら、畑におばあさんが座っとって。「お遍路さんお遍路さん」って呼ぶ。お遍路さんの格好しとったから、そう思ったんやろうな。それで、おばあさんが言うねん。
「おむすびひとつどうぞ、食べて」
断れやんでな。それで「ありがとう」って言って、食べるふりしようと思って口につけたんや。
そしたらな、すごかった。
びっくりするくらい、甘かった。米の甘さが。
木の実や草ばっかりやったから、こんなもん急に体に入れたらえらいことなるわと思って、しゃぶりしゃぶり、ほぐしほぐしで、ゆっくり口の中でお粥にしながら、いただいた。
でな。いただいた後にコンビニまで歩いて、煙草買うたんや。「わかば」。箱開けて、その場で1本吸う。この、うまさ。
それで、「おれもっぺんやりなおそ、生きてみる」って、なった。おばあさんからもらったおむすびと、そのあとの、煙草の旨さで。
山に入るまでは、煙草っていうもんはずっと、憂さ晴らしのときに吸ってた。でも、その煙草はそれとは違った。おむすび一つで、幸せで満腹な気持ちになって。その状態で吸う。それで思い出したんや。
で、もっぺん生きようと思って、山から降りて、歩きはじめた、というわけです。
-5- 「大阪行けば、なんとかなるよ」
山は3ヶ月くらい住んでた……ように思う。カレンダーもないし、携帯代も払ってなくて繋がらんしで、あんまり日付の感覚がなかったな。で、お遍路の途中で山に入っとったから、けじめはちゃんとつけてお遍路終えようと思って、最後はやっぱり、高野山へ行こうと思った。高野山でお礼参りして。それでまちに降りようと思った。
ただ、お金もないし、どうしようかと困っとったら、途中で会った女性の住職さんに「霊仙寺」ってところ教えてもらった。「そこに行ったらなんとかなる」と。で、案内所で聞いて、「霊仙寺」たどり着いて。そこで、一晩泊めてもーて。
朝起きたら、住職のおじいさんが「ちょっとこっちおいで」と。行ったら、お茶呼ばれて。朝ごはんも呼ばれて。「あんたは行く所がないんだろう」と。「高野山で働くつもりで来る人もおるけれど、あなたは、ここでは無理や。60歳近くになって、宿坊で働くのは相当つらい。でもね、大阪行けば、なんとかなるよ」と。
そんでな、その住職さん、南海電車のフリー乗車券くれたんや。株主優待券やな。「これあげる。これで大阪いけ」と。素直に受け取った。というか選択肢もないしな。で、大阪に向かったんや。
出るときに、今度はおばあちゃんが「お遍路さん、ちょっと待ちゃあ」って声かけてくれて。「これ持ってきゃ」と、封筒渡してくれて。「ないしょないしょ」って言いながら。それでな、「頑張れ」とは言わへんねん、「また、来てや」って。「落ち着いたら、また顔見せに来てや」って。封筒の中、お金やった。1万円、入っとったんや。
南海電車で、大阪の難波に着いて、さあどこで体休めよか、と。ひとまず頂いた1万円持って、漫画喫茶に入った。インターネットもできるしな。でも、ここにずっとおっても、1万円なんてすぐなくなるわな。泊まり続けても1週間やわ。
ほんで、どうしよかなと思って考えて。ふと、おれが昔によく行ってた、別の漫画喫茶のこと思いだした。「快活21」ってところ。だいぶ行ってたから、ポイントとか貯まってて、安くでおれるんちゃうかなって思ったんや。なんかこういうときって、そういうの思い出すんやな(笑)。ほんで、今おるところから一番近い、「快活21」の店舗を探した。そしたら「津守店」って出てきた。よっしゃ、そこ行こってなって、向かった。
メンバーズカードみたいなんはもう失くしとったけど、お店の人わかるやろ? 調べてもらったら、やっぱりポイント、めちゃくちゃ貯まってたわ。(笑)それで、もらった1万円も含めて、また1週間かそこら、漫画喫茶で過ごしながら、これからに向けていろいろ調べようと思った。やけど、おれ、山から降りてきて、ボロボロのお遍路の服やったからか、不審者扱いされて、お店に追い出されてしまったんや。
-6- コインランドリーでの出会いから釜ヶ崎へ
「しゃーないな」と思って、津守からぼーっと歩いとって、夜になって。なんも食ってないし、煙草もない。シケモク探しながら、夜中歩き続けて。そしたら、南海電車の高架下近くに、コインランドリー見つけた。「あー、真夜中でもやってるコインランドリーがあるんやな、あったかそうやな」と思って入った。あったかかった。
そしたら、自転車乗ったおっさんが来た。「あー、また追い出されるかなあ」と思っとったら、ちゃうかった。「おーう、兄ちゃん休憩かー。お、お遍路いっとったんか」って。お遍路の格好してたからな。
ほんでそのおっさんは、洗濯しに来ただけやったけど、スーパー玉出の袋持ってて。洗濯待ってる間に、その袋から、半額弁当、広げだすんや。チラッと横目で値段見たら、「やっすいなあ」ってびっくりして。まあでも、それでも今のおれでは買えへんわ、と。
そしたら「兄ちゃん、食うか?」と。寿司弁当くれて。もちろんいただいて。食べながらいろいろ喋っとったら、今度はおっさん、まんじゅうを食べだして。「あー、おれまんじゅういつから食ってないんやろう」と考えながら眺めてて。たぶん、その目がもう、ちゃうかったんやろな(笑)、おっさん、「これも食べよ」って、ひとつくれて。「ありがとうございます!」って食べて。
そしたら、その一連の様子見て、ようさん買ってた弁当を、またひとつくれて。「お前、銭ないんやろう」と。まあ、分かるわな。(笑)
「これ、まーっすぐ行ったら、『三角公園』がある。火をどんどん焚いとる。そこに行ったら、なんとかなる。」
そう言われて、歩いて行った。
三角公園、着いたのがちょうど朝の5時半くらい。火の明るさがあったから、すぐ分かった。みーんな火あたってた。で、おれ、お遍路の格好やんか。「おー、兄ちゃんお遍路かー。座れ座れ」って、椅子持ってきてくれる人もいて。
みんな煙草吸うてるやんか。おれないやんか。
缶コーヒー、飲みだすんか。おれないやんか。
それに気づいてくれた人が声かけてくれた。
「お前煙草すうんか」
「吸います」
「ちょっと待っとれ。ついでに缶コーヒーもな」って、もらったりして。
で、8時頃かな、焚いてる火、消さなあかんゆうことで、消して。みんなバラバラと三角公園から出ていく。そしたらひとりのおっさんがまた、話しかけてくれて。ある人の名前と、その人がいる場所の名前を教えてくれた。
「ここを訪ねていけ。釜ヶ崎来たら、この人に頼れ」と。